おばあちゃんの知恵袋の会 著名人インタビュー著名人が語る「私のおばあちゃんの知恵袋」 おばあちゃんの知恵袋の会
著名人が語る『私のおばあちゃんの知恵袋』
第1回 藤村俊二さん藤村俊二さん 第2回 橘家円蔵師匠橘家円蔵さん
第3回 松平直樹さん松平直樹さん 第4回 森山周一郎さん森山周一郎さん
第5回 山本文郎さん山本文郎さん 第6回 村松英子さん村松英子さん
第7回 大空眞弓さん大空眞弓さん 第8回 川又三智彦さん川又三智彦さん
第9回 ペマ・ギャルポさんペマ・ギャルポさん 第10回 細川佳代子さん細川佳代子さん
第11回 坂上二郎さん坂上二郎さん 第12回 北斗 晶さん北斗 晶さん
第13回 車だん吉さん車だん吉さん 第14回 矢追純一さん矢追純一さん
第15回 及川眠子さん及川眠子さん 第16回 船井幸雄さん船井幸雄さん
第17回 庄野真代さん庄野真代さん
第2回 橘家円蔵師匠
  「金が欲しいか命が欲しいかって聞かれたから、金だ、って言ったね」
円蔵師匠
■ 30代から血圧200

 円蔵師匠の事務所は、御茶ノ水駅にほど近くビルの一室にある。

師匠: 「よ、来たね」

と年齢を感じさせない元気な声で迎えてくれた師匠だが、実は最近、いくつもの病気に悩まされているのだという。

師匠: 「目は前から白内障だろ。2年くらい前に、目をあけると黒い雲が出るんで、マズい と思って医者に行ったら、網膜剥離になってるから、早くしないと失明しちゃうっていわれて、手術してやっと治ったの。で、胃も悪い。こないだも、食べて胸がむかつくんで、 こりゃガンかもしれないって医者いったら、『年なだけだよ』なんてね。血圧も高いし、腸も悪い。血が濃くなりすぎるってんで、薄くする薬をしょっちゅう飲んでる」

 これだけ調子が悪くても、好きな酒は止められない師匠。それで、医者を選ぶ時には、酒好きの人にするのだという。

師匠: 「そしたら、『飲むな』とはいわないだろ。そのかわり、『手がしびれてきたらよしなよ』とはいわれるけどね」

 血圧でいえば、すでにムチャクチャ忙しかった32〜33の頃、200いってたという。動くとやたらと体がほてってくるので、これはおかしいぞ、と測ってみたら、あんまり高いので医者もビックリしたとか。
 ところが、この頃はまだ酒は飲めなかった。19で二つ目になった師匠、もう大人だ、と酒を飲んだら悪酔いして、ヒドい目にあったのだ。


師匠: 「便所に行ったらさ、金隠しが立って迫って来るの。いけね、と思う前にそれにぶつかって倒れちゃった。ホントはオレが頭ぶつけただけだけど。それから、酒飲んだら死んじゃう、と思ってやめてた」

 ストレス解消は、もっぱら仕事たったのだ。仕事さえやってれば、悩みは翌日に引かない。それで殺人的なスケジュールを組み、噺家仲間の立川談志にこう言われたことまであった。
師匠:「 お前さ、そんなに仕事ばかりやってたら、死ぬよ。金欲しいか、命が欲しいか、よーく考えな」
師匠は間髪入れずにこうきり返した。「金が欲しい」。
師匠: 「だいたいね、お金が欲しがってるような人は死なないよ。精神が強いから」


それが40代に入って酒の味に目覚め、一晩でボトル一本いくまでになってしまった。
師匠: 「まァ、最近はビールの中ビン2本で酔っ払っちゃうから、かわいいもんだな。ウッワッハッハッ」
とても病気をいくつも抱えてるとは思えない元気そのものの声で笑った。

■死ぬまでしゃべる

師匠の故郷は東京の江戸川区平井。子供の頃は「バカ元気」なヤツだったという。

師匠: 「とにかく何でも食っちゃうんだ。サツマイモだろうが何だろうがナマでかじるの」
だから、たとえ風邪をひいても、ネギの湿布なんかしやしない。
師匠: 「ネギまくなんてな、いいとこのオボッチャン。オレたち長屋のガキはネギ巻いたら食っちゃうもの」

ただ、ショウガを入れたくず湯や玉子酒なんかは、大人たちは飲んでいたという。コメカミに熱取りで梅をくっつけてた「梅干しババア」も実際にいたらしい。

師匠: 「いっぺん驚いたのはね、確か小学校の頃だったか、隣りのオヤジが血圧高くてひっくり返ったの。そしたら近所の長屋のカーチャンが、茶碗を割って、それでオヤジの首筋のあたりを切って、ブワッと血を出さしちゃってる。『これやらないと、脳溢血になっちゃうんだよ』なんて言いながら。すごかったね、あれは」
どうも、首筋切ったら死んでしまうんしゃないか、とも思うが、師匠は真顔で語ってくれたのだから、たぶん実際に見たのだろう。

 戦争が激しくなってからの疎開先は、山形の湯ノ浜温泉だった。
 
円蔵師匠
 
  橘家円蔵
(たちばなやえんぞう)

1934年江戸川区平井生まれ。
53年に七代目橘家円蔵師に弟子入りし、65年、三代目月の家円鏡を襲名。
『大正テレビ寄席』『お笑い頭の体操』『日曜演芸会』など、テレビの売れっ子タレントとなる。ラジオの中継番組でも、その賑やかな話術を駆使して大成功をおさめる。
82年、八代目橘家円蔵を襲名。

 

師匠: 「冬なんか寒いからね。まともじゃ温かくなんない。それで、浜辺が近くにあるんで、そこ行って、裸足で雪の中をワッショイワッショイって走るんだ」

不思議なもので、裸足で走ると、足の裏も最初は冷たいのがやがて痛くなって、そのうち寒さに麻痺するようになって、終いにはポカポカ温かくなってくる。戦中の子供たちはこのように逞しかったのだ。

師匠: 「よく柿ドロボーもやったな。疎開先からひとつ山を越えると、寺があって、そこでなってる青い柿を盗んで田んぼに隠しちゃう。で、一ヶ月くらいたって通ると、ちょうど熟しておいしくなってた」

何十年かたってテレビに出るようになった後、その寺の娘さんと対面する機会が あって、「師匠はよくウチの柿を盗んでたでしょ」といわれて「すいません」と謝っ たそうだ。

 師匠は、その「バカ元気」を持ちつづけ、ピリピリした緊張感の中で「自分と一生闘いつづける年寄り」でありたいという。
師匠: 「今の年寄りで、一番バカバカいのは、2千万も3千万もかけて、夫婦で船に乗って世界一周なんてやってる人ね。船に乗ってたって、ずっと海で景色変わんないから、面白くないだろうに。SLなんかでも、一番つまんないのは、下り坂で追い風の時さ。煙も吐かないし音も出さない。わざわざ高い金払って、風景も何にも変わらないものに乗ってる人間の気が知れないね」

 ずっと現役のつもりでいるから、火災保険、生命保険、国民年金、一切入ってないという。
師匠: 「仕事ができなくなったら、もうお終い。朝目が醒めたら死んでた、っていう死に方がしたいね。ガンだって別に怖くない。それより、脳梗塞とかになってしゃべれなくなるのが怖いな。私ゃね、死ぬまでしゃべり続けたいんだよ」

  円蔵師匠にとって「定年」という言葉はない。(第2回終わり)
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