9.家
及川、人生最大の衝動買いは何と言っても目黒の一軒家である。
ある日突然家が欲しくなり、人に言わせると「まるで八百屋で大根を買うように」家を買ってしまった。
そして、そのローンも払い終わらぬうちに、と言うよりローン地獄に苦しんでいる最中に、またしても家を購入。それもトルコのイスタンブールに。行くだけでも12時間かかる別宅を持ってしまったのだ。
先ず、事の発端はイラク戦争。
隣国であるトルコは、その戦争の煽りを思いっきりくらって、観光客が激変。自給自足国ではあっても、主立った産業がないために収入を観光事業に頼らざるを得ないトルコは、たちまち不況に陥ってしまった。
日本人のように貯蓄があるわけではない。お金がなくなった人たちが最初にやることは、とにかく「持っている物を売る」ということである。そして、不況が長引けば長引くほど、その「持っている物」の価値もどんどん下がっていく。もちろん、家の価格も。
そして底値の底値どき。もうこれ以上は何があったって下がりまへんぜ、家っちゅーもんは持っているだけで財産や、などとという周囲の言葉にそそのかされ、思わずその気になって家を購入。
しかし思い出せば、目黒の家を買ったときも不動産屋にそう言われたもんだ。なのに、僅か2年で3千万円落ち。
及川またしても同じ過ちを。と思われたが、私が買った1ヶ月後に下の階の物件(広さや条件はすべて同じ)を買った人は、私よりも100万円以上高く購入したそうだ。
戦争はいつか終わる。今の状況で本当にイラク戦争が終わったのかどうかははっきりと言いきれないものがあるが、観光客はぼつぼつ戻ってきている。EU加盟に向けて前向きな展開にもなっている。人々の暮らしに大きな変化はないけれど、それでもイラク戦争やテロ直後の状況よりはずいぶんましになっているのは確かだろう。
私が買った家も2年経った今、1万ドル以上の値打ちがついている。でも、ドル安になってしまったので、実際のところはさほど変わりはないのがちょっと悲しい。
ところで。トルコに家を買ったと言うと、必ず訊かれることがある。
先ず「なぜ買ったの?」とう疑問。
年に二・三度ほどトルコに行っていて、もちろんそのときはホテルに泊まっていたのだが、もし家があればホテル代が要らなくなるなぁ、トルコ料理に飽きたら自分で食べたいものを作って食べられるなぁ、という実に単純な思いからである。
しかし、家はただの箱。買ったら買ったで、電気製品やら家具やら食器やらの生活用品が必要になってくるということをコロリと忘れていた。
さらに、トルコの家は日本のそれとは違って、たとえ新築で買ってもある程度のリフォームを必要とする。いや、しなければしないでいいのだが、どうにも日本人には住み心地が悪くて、私もやっぱり直してしまった。
3部屋とサロン(日本で言うところのリビングルーム)、それにキッチンという間取りだったのだが、サロンとキッチンの壁をぶちぬき1LDKにした。
お陰で使いやすくなったのだが、トルコ人というヤツらはどうもしなくてもいいことをしてくれるみたいで、普通にフラットな壁にしておけばいいものを妙なデコレーションを付ける。まるでいんちきアールデコ風なリビングになってしまった。
もともと「フリフリ、ビラビラ」が大好きな人種である。壁のデコレートに合わせて、天井にも不必要な飾りと言うか「枠」が付けられた。そしてあるとき、その枠がいきなり天井から落ちてきた。ものすごーい音がして、一瞬自爆テロかと思ったほどだ。さすが手抜き工事の得意なお国である。
また、トルコの家というのは基本的に収納スペースがない。一つもない。そのくせ130平米の家にシャワーが二つにトイレが三つも付いている。何なんだよ、この無駄さは。
結局はそのシャワーとトイレを一つずつ壊して収納スペースにした。
そんなこんなで、家は830万円だったけど、それ以外の出費がバカにならなかった。今でも上の階の雨漏りがうちまで進出してきたり、トイレの水が突然逆流したり、洗濯機が壊れたりと、行くたびに何かしらのトラブルが起こり出費を強いられる。
日本の「契約した日から住めます」的な至れり尽くせりの家から比べると、とにかく欠陥だらけだし使い勝手も悪いが、トルコ人は全然平気みたいだ。って言うか、家とはそういうもんだという思いがあるのだろう。
それに、日本人みたいに物をたくさん持っていないから、収納がどうだとか、この引き出しの具合がとか気にすることもないのかもしれない。
まぁ、そんな普通のトルコ人の家よりも、うちはもっと物が少ないんだけどさ。
と言うのは、私がほとんどトルコに行かないから。家を買っても向こうにいるのは年のうち2ヶ月間足らず。ホテル代が得したのかどうかの結果はまだわからない。
さて、次に投げかけられる質問は必ずと言っていいほど「いくら?」
価格を言うと、ほとんどの人が「安いのねぇ」と答える。だけど、中には「えっ! そんなにするの」とビックリされることがある。
遊牧民のようなテントの家を買ったと思われているのだろうか。及川はベドウィンを目指しているのだと、勝手に想像してくれているみたいだ。
トルコの中でも、イスタンブールはほとんどヨーロッパ。私の家のある場所は、地名を行ってもわかる人はほとんどいないので敢えて書かないが、ヨーロッパサイドの旧市街のはじっこ。かつてのコンスタンチノープルなのである。羊や牛も飼っていないし、畑だってないよと言うと、なんだそうなんだーと実につまらなそうな反応をされる。
しかし、この中途半端な都会さ加減も、ちょっと不便な生活も、なかなかいいもんだ。ずっと向こうに住もうとは今のところ思っていないけど、東京のようにスッキリした街にずっと住んでいると、たまには混沌とした空気を漂わせているところで途方に暮れる自分を体験したくなる。
これ以上出費が増えるのは困りものだが。 |