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暮らしに役立つおばあちゃんの知恵袋

TEL. 090-1211-0042

〒879-1505大分県速見郡日出町
川崎1612番地1

全国のおばあちゃんの知恵「夏から秋にかけての風物詩」

夏から秋にかけての暮らしや行事など、その折々の暮らしの知恵や懐かしい記憶を、全国の皆さんに語ってもらいました。

学校などの行事
●水泳教室
  夏休み中に小学校のプールは、週に何度か「水泳教室」と称して児童に開放されていました。その中で、記憶に残っているのは、台風の後など落ち葉が水中にいっぱいだったことです。まるで池か沼で泳いでいるような不思議な感じがしました。(埼玉県・N.K)
●行事に参加しなかった
  林間学校や臨海学校は経済的に苦しかったので、一度も参加したことがありませんでした。夏休み前に学校で、先生とその打ち合わせをしている級友たちが、いつもより「遠く」に見えたものです。でも、かわいそうだったわけじゃないんだよ。そのころから、マンガを描くのが好きでした。(今はマンガ家です。)そういうところに行くよりも、なによりマンガを描ける時間があるほうが楽しかったんです。(東京・K.O
●芋煮会 
  学校全体の行事で、芋煮会がありました。河原で、カマドづくりから始めます。クラスで、班ごとに分かれますが、先生が強引に男女混合のクラスを作りました。中学3年生の時だったので、回りから冷やかされましたが、あれって、羨望だったんですね。(東京都・A.H)
●幼稚園の「お泊まり保育」
  幼稚園の先生をしていたころ、毎年、夏休みに「お泊り保育」という行事をやっていました。年長さんだけ幼稚園に泊まるのです。夜店や花火を見て、良い子はネンネするのですが、お母さんが恋しくて、泣き出す子が必ずいてたいへんでした。
  貸し布団屋から大量に届く布団を、各部屋に子供の人数の半分の数ずつ運ぶのは、力仕事でした。30人だと15枚になります。もっとたいへんだったのは、子供によっては、夜中のトイレに起こす時間が違っていたのです。そのため、先生方は朝まで起きていなければならず睡魔との戦いでした。寝た子は重くて、起こしてトイレに連れて行くのも一仕事です。可愛い寝顔に救われた夏の一大イベントでした。若かったから、できたんだなあ。(神奈川県・S.K)
●暑中見舞
  これも幼稚園の先生だった時、子供たち全員に暑中見舞の葉書を出すのが、園の方針でした。全員の子供に書いて出しました。年賀状以外、大量に葉書を書くことがなかったので、かなりのプレッシャーでした。(神奈川県・S.K)
●水泳のテスト
  夏休み明けに水泳のテストがありました。毎年一級ずつ上がっていって、赤い線を1本ずつ帽子につけてもらえます。赤線3本(25mを泳げる)から上になると、黒線になります。黒線が1本(50mを泳げる)になったときはすごく嬉しかった。(アメリカ在住・Y.S)
●学校映画
  子供のころ、夏休みには体育館に集められ、大きな白いスクリーンで、映画を見せてもらいました。娯楽の少ない時代だったので、楽しかったですね。(東京都・W.T)
●夏休みの宿題
  夏休み最後の8月31日は宿題に追われました。毎年、夏休みの宿題は早くすまそうと思っていましたが、だめでした。工作の宿題があり、これがたいへんでした。親や兄に手伝ってもらって、持って行ったのですが、少し気が引けました。(東京都・N.A)
●地域で楽しむ運動会
 私の小学校のころは、家族総出で楽しんだものです。ゴザを敷いて、お弁当を食べて、楽しい1日でした。この時代は変な競争意識もなく、地域のコミュニケーションに役立っていたのです。(東京都・N.A)
●「はだし足袋」と「ヨーチン」
 運動会のとき。かけっこの遅い私は、何とか早く走れないかと、いろいろ思案したものでした。「はだし足袋」といって、運動靴でなく、白足袋で走るのです。まだ運動靴が重かった時代ですね。それから、「ヨードチンキ」を足に塗ると、早く走れると言われ、足中にまっ黄色に塗りました。でも、ビリでした。(神奈川県・Y.K)
●創作ダンス
  運動会はきらいでした。でも創作ダンスは好きで、遅くまで学校に残って練習をしていました。(東京都・H.K)

夏から秋の思い出
●お祭りの詰め所
  わが家の隣は長年空き地で、物心ついたころから町内会のお祭りの詰め所になっています。御神輿が大小置いてあり、夜には夜店を開くので子供のころはとても楽しみでした。今は朝から夜まで太鼓や笛のテープを流して雰囲気を出すため、うるさくてたまりません。毎年9月の第一週の土日にあるので、そのころは何処かへ避難するようにしています。(東京都・N.R)
●縁側
  私は神戸の芦屋育ちなんですが、子供のころ住んでいた家は縁側があったので、夏の午後その縁側に座って、スイカやアイスキャンデーを食べたりしたことが、思い出されます。(兵庫県・K.S)
●花火
  子供のころ、夜、花火をしていますと、どこか心がワクワクしました。真っ暗な中に、花火のほのかな明かりがパチパチ輝いていると、不思議な魅力がありました。(東京都・W.T)
●子供時代に住んでいた浅草の思い出
浅草では夏にいくつかの市が催されます。浅草寺の植木市、ほおずき市、入谷の朝顔市など、どれも私にとってはあまり興味のある商品ではなかったです。けれども、ふだんなかなか夜出かけることなどない小学生の身としては、9時や10時までぶらぶらと遊びまわれるのが最高の魅力でした。

母と植木市に行くと、「実物の植物に触れる良いチャンスだ」と言って露天に並ぶ鉢植えの名前を、片っ端から覚えさせられました。いやいや覚えていたので、今となっては何一つ覚えていません。朝顔と南天くらいはわかります。

ほおずき市の思い出といえば、黄色や赤の海ほおずきというのを売っていました。小学校2年の時に、初めて音を鳴らすことができて、とっても嬉しかった。でも、いまだに鉢植えのほおずきは鳴らせません。

両親が商売をしていたので、なかなか学校の行事に参加できませんでした。ほとんど運動会の昼食の時は、近所の家族に混ざってお弁当をいただいていました。一度だけ運動会に母がお弁当を持って来てくれた年があり、やたら張りきって走ったことを覚えています。(アメリカ在住・Y.S)
●氷売り
 大きな氷にむしろをかけてリヤカーで運んでくる氷売りがいて、家の前でシャーッ、シャーッと快音を響かせてのこぎりで切り取ってくれるのでした。(東京都・M.M)
●赤フン
 僕らのころ、水泳は「六尺の赤いフンドシ」でした。鮫におそわれないとか、おぼれた時救助しやすいというものですが信じてませんでした。力のない僕は、泳いでいると、フンドシがだんだんほどけていくので、危険でした。(東京都・T.T)
●盆踊り
  盆踊りの時は、家族全員で浴衣を着たことを思い出します。(新潟県・A.K) 
●お供え泥棒
 子供のころ、 東京・上野の黒門町から、練馬に越してきました。お月見の日に縁側にお団子をそなえます。 少し目を離していたら、近所のこどもに持っていかれましたが、泥棒してもいいという風習だと分かりました。一昔前には、練馬でもそんな風情があったんだね。(東京都・M.S)
●ラジオ体操
 子供のころ、毎朝、神社でラジオ体操があり、皆勤賞は、文房具やお菓子が袋に入ったものでした。時には袋の中に、当時は高価なシャープペンが入っていました。ラジオ体操から家に帰ると、冷蔵庫に牛乳が入っていて、これがうまかったのです。(滋賀県・M.M)
●みかん
 秋の遠足の時持って行ったみかんの香りが忘れられません。今でも、緑のみかんの皮をむくと、遠い昔の懐かしい思い出がよみがえってきます。(東京都・N.A)
●団体旅行
 父の仕事関係の方々と、毎年夏休みに、バスをチャーターして家族旅行をしていました。海や山に行きましたがとても楽しかったです。家族だけで行くのと違って、同じ年頃の子供同士が、みんな仲良く遊んで楽しい思い出となりました。いまだに仲良くしている人もいます。(神奈川県・M.T)
●スイカを裸で食べる
  田舎から送られてきた大量のスイカを家族と親戚一同で食べました。食べる時は、新聞紙を敷き詰めた玄関で、円陣を組みます。子供は上半身裸で、みんなでウンチングスタイルで豪快にかぶりついたのもいい思い出です。(静岡県・K.K)
●アルバイトのお坊さん
  お盆に家族みんなが仏壇の前に集まって寺からお経をあげに来てもらいました。時には、アルバイト(?)の若い坊主さんが来ることがあったんです。子供ごころに「アルバイトでほんとにご利益があるのか?」と思ったものでした。(千葉県・I.K)
●カキ氷
  小学生の頃は父にカキ氷機でカキ氷をつくってもらうのが楽しみでした。(東京都・S.J)