第8回 川又三智彦さん
(ツカサグループ代表)
「おじいちゃん、おばあちゃんの
知恵を伝える場、作ります」
■ この20年間、
1日も会社を休んだことはありません
「さんのよんよんまるまるわんわんわん…」。
社長自らCF出演し、日本で初めてウィークリーマンション事業を大成功させたツカサの川又三智彦社長。バブル最盛期には1000億円を超える大資産家、バブル崩壊後は1000億円の借金を抱える大貧民になってしまう。まさに波乱万丈の人生を送ってきたといえるが、バブル崩壊で味わった経験から独自の情報整理術や経済分析などを生み出している。川又社長の健康法もまた独自の情報整理術を活かしたものである。
川又社長:「もともと健康管理のために始めた事ではなかったのですが、これまで1日の行為、行動を管理・記録してきました。トイレの回数も記録します。するとある時、トイレの回数が多くなると、風邪をひく前兆であったり、体調の異常を知らせるシグナルであることに気付いたのです。そんなときは前もって早めに休んだり、薬を飲んだりして予防しています」
病気になってからどうするかではなく、病気にならないためにどうするのかという、予防医学の発想で、理想的な健康法といえるが、誰もが真似できるものではない。トイレの回数をチェックするということをなかなか習慣づけることが難しいからである。
川又社長: 「今まで大病をすることはなかったのですが、もともと抵抗力がなく、風邪をひけば何日も寝込むことは多かった。しかし、この健康法でこの20年間、一度も会社を休んだことはないですね」
毎日の健康チェックに加えて大事なのは、意識の問題だという。
川又社長: 「生活の中に生き甲斐や目標を持つことがなによりの健康法になると思いますね。「病は気から」と昔から言われています。ガンも80%くらいの要因が精神的ストレスからきていることが、分かってきましたが、精神的にプラス思考になることです。笑うことががん予防になるということも言われています。
もう一つは、運動不足を無くすことです。やることがなければ身体を動かさなくなりますし、気持ちも病んできます。だから、やることを見つけて自分を忙しくすることが健康でいられる秘訣だと思います。忙しい人がよく『病気になっている暇なんかない』といいますが、これは本当のことなんです。ただし、忙しすぎるのはダメです」
自分がやりたいことを持つことや見つけることが、精神的ストレスを無くし、病気になるのを防ぐという。しかし、世の中は不況やリストラで不安ばかりが増している。どんどんストレス社会になっている。中高年がまるでお払い箱のようにリストラの対象者になってきた。生きる糧のみならず、生き甲斐までも奪い去ってしまう時代になってしまっている。そんななか、川又社長の夢のビッグプロジェクトが始まった。
川又社長: 「少子高齢化の時代を迎えて、各地で特別養護老人ホームが作られていますが、建物は豪華で立派でも、日常の生活からは隔離され、入る人が生き甲斐を感じる場とはいえません。そこで「健康、生き甲斐、そして美」をテーマにした、昭和30年村を作ります」
■
人が暮らすテーマパーク
「昭和30年村」作ります
川又社長が作る「昭和30年村」とは、いったいどういうところなのか。
川又社長: 「例えば鍛冶屋や豆腐屋や民芸細工の技術をもった人たちを集めた「匠の里」というような集落を作ります。そこでは「昔とったキネヅカ」を活かして元気に仕事をしているお年寄りの姿があります。トンカントンカン、鉄をたたく音、豆腐、豆腐の掛け声が響く。そこに若者が見習いとして修行に来る。一生懸命に若者に技術を伝えようとするお年寄り。時には大きな怒鳴り声も。そんな中で人間関係を学び、徒弟関係が生まれて人間形成の場ができる。
そして技術のある元気なお年寄りばかりではなく、たとえ介護が必要な方であっても、役割を用意しています。縁側でひなたぼっこをしながら、道行く人に「お茶でも飲んでいきなさいよ」と声をかけたり、昔の話を聞かせてくれる。子供たちのために竹トンボやお手玉を作ったりと。
つまり、ここはおじいちゃん、おばあちゃんの知恵を伝える場所になるでしょう。そしておじいちゃん、おばあちゃんにとっては若い人たちと触れ合い、自分の技術や知恵を伝えることで生き甲斐や喜びを感じられる場になると思います」
昭和30年、こうした風景は日本じゅう、どこにでもある、ありふれたものだった。それが大きく変わったのが高度経済成長のときである。大型スーパーが誕生し、町の商店街は消えてしまったが、昔ながらの商店街もここではよみがえる。
川又社長:「この昭和30年村の大きな特徴点は、実際に昭和30年代の村がここにはあるということです。お年寄り、定年退職した人、若者、そして身寄りのない人まで、村の住人として24時間ここで生活していただきます。いわば、自治体を丸ごと作るようなものです。これが普通のテーマパークは大きく違う点です。住民にとってこの村は稼げる場であるだけでなく、生活する場なのです。こうした風景や人とのふれあいなどを訪れる人に味わっていただきたいと思っています。
田舎暮らしや人情あふれた生活のあるこの村に住みたいと転居してくる人も大歓迎です。自分好みの家を建てるもよし。豪邸を作るもよし。土地はいっぱいありますから」
テーマパークがアトラクションやイベントによって日常生活にはない空間を演出して夢を与える場所となっているのに対して、この昭和30年村は、昔あった日本の風景、祭り、近所づきあいなど、普通の日本の風景を見せようとしている。一歩村に足を踏み入れたとたん、昭和30年代にタイムスリップしたような、昔懐かしい世界が広がっている。
昭和30年村について語りだすと、川又社長の話は止まらない。ウィークリーマンション、そしてSOHOブームの先駆けとなったウィークリーオフィスと、新たなビジネスを興して成功させてきた川又社長は、「この昭和30年村の事業を成し遂げることが私に課せられた使命である」という。
大企業の社長はサラリーマン化し、事業を自分の使命として捉えている社長は少なくなってしまっているが、こうした発想の原点はどこから来ているのだろうか。
川又社長 川又三智彦
(かわまた さちひこ)
ツカサグループ代表
昭和22年(1947年)栃木県生まれ。サレジオ高校卒業後、米国ノースウェスタン・ミシガンカレッジに留学。バイクで米国横断走破。帰国後、家業の貸しアパート業を受け継ぎ、「ウィークリーマンション」を大ヒットさせる。バブル崩壊後、自らの経験に基づいた独自の情報整理術を構築。その発想と行動力は注目を集めている。最近の主な著書には、『「昭和30年村」作ります 人が暮らすテーマパーク』(日新報道)、『二極化ニッポン 2007年、1億総中流社会は崩壊する』(住宅新報社)がある。