本文へスキップ

暮らしに役立つおばあちゃんの知恵袋

TEL. 090-1211-0042

〒879-1505大分県速見郡日出町
川崎1612番地1

著名人が語るおばあちゃんの知恵袋

第4回 森山周一郎さん


「今でも草野球で
 トリプルヘッダーまでやりますからね」



   

■ 医者を驚かせた徹底したリハビリ

 『刑事コジャック』の声など、その渋い低音で知られる森山周一郎さんは、70歳の 現在になっても、テレビやラジオの仕事で大忙し。週に3日は故郷・名古屋でのラジ オのレギュラーなどをこなし、残りは東京に戻る生活を続けている。すでに再来年の 仕事の依頼までけっこう入っているというのだからスゴい。
だが、それだけタフな森山さんも、4年前、脳梗塞の症状を起して倒れた。

森山さん:「牛肉が好きでね。ステーキ、焼肉、シャブシャブと三食牛肉でもいいくらいだった お陰で、血管にコレステロールがたまっちゃったんだろうな」

幸いにもすぐに救急車を呼んでもらい、処置が早かったために大事にはいたらなかった。救急車の中で血管に水分を入れて血液の流れを良くしてもらい、病院には倒れて30分もしないうちに到着していた。

森山さん: 「体が動かないのも心配だったが、言語障害がもっとこわかったですよ。仕事がまったくできなくなってしまうんだから」

 入院して、その心配がないのがわかって、やっと一安心したという。
それでも入院中から退院後も含め、半年以上リハビリは続いた。右手、右足のしびれがなかなか抜けなかったためだ。足に2キロのオモリをつけての上げ下げ、鉄アレイを使っての腕の筋力運動などだ。

森山さん: 「お医者さんに感心されてね。リハビリを長い期間真剣にはなかなか続けられないの に、森山さんはほんとによくやる、って」

  もともと体力には自信のあった森山さん。病気前は右手で47〜48キロあった握力が30まで落ちていたのをリハビリによって40キロ近くまで回復させた。

森山さん: 「あの後は、またすっかり治って、野球やゴルフで汗を流してますよ」

  そう語る森山さんのスポーツ歴がまたスゴい。野球についていえば、中学、高校、社会人とプレイをやってきていて、その歴史はほぼ60年近くに渡る。現在でも草野球チームを率いて春と秋の芸能人野球連盟の試合に「現役選手」として参加しているのだ。

森山さん: 「さすがに昔のようにピッチャーでビュンビュンとスピードボールは投げられないけど、外野をやったりファーストをやったり、月に4日は野球やってますよ。ひどい時には、ダブルヘッダーどころかトリプルヘッダーなんてこともある」

  ゴルフの方も、決してカートには乗らず、歩いてプレーするのが森山流だ。ドライバーは今でも250ヤードは飛ばす。

森山さん: 「これでも、最近ちょっと衰えたくらい。ちょっと前まで300ヤードいってた。シニアのプロなんかよりもよほど飛ばしてた」

 犬の散歩でも、一日4キロくらいは歩く。運動は十分過ぎるほどだ。
 倒れてから、食事の内容も変わった。ご飯、メザシ、みそ汁、おしんこといった昔の日本人が食べていたようなものにチェンジし、大好きな肉は、週一回、200グラム、脂身のないところを食べるようになった。お陰で、すこぶる健康だという。


■みそ汁で作られた健康

名古屋で生まれ、犬山に疎開している時に家が焼かれ、そのまま10年間を犬山で暮らした森山さん。頑強な体を作ってくれたのが、子供時代に飲んだ「岡崎八丁みそ」で作ったみそ汁だと語る。

森山さん: 「赤だしじゃない。もう少しこげ茶色のみそでね。明治天皇の時代から宮内庁御用達なんだが、タバコを吸ってもその毒性を消すといわれてるくらいで、体にはいい、とずっと聞かされてました。今でもできれば三食、朝昼晩と八丁みそのみそ汁つけます。名古屋に行くと、まず、八丁を出すところを選ぶ」

 「健康=八丁みそ」というのが、森山さんが母親から伝授された教えというわけだ。
 祖母が早く亡くなり、戦時中に父親が亡くなった森山さんにとって、躾の面で強く影響を受けたのは祖父だった。

森山さん: 「ウチの祖父のやり方は、何でもダメ、じゃないんです。まずやらしてみて、それで失敗したら本人も考えるだろう、という主義でした」

 たとえば、森山さんが遊びで木登りをする。つい調子に乗って、落ちたらケガをしそうなところまで登ってしまう森山さんに対して、母親は心配で「早く、降りてきなさい」と必死で呼びかけるのだが、祖父は「ほっとけ」と突き放す。

森山さん: 「落ちてケガしたら懲りる。懲りたら、はじめてわかる」

 鉛筆を削るのでも、まだ鉛筆削りなどという便利なものはない時代だ。母親は、どうしても息子が指を切りはしないかと、自分がナイフで削ってあげようとする。だが、祖父は自分でやらせろ、という。
 
森山さん: 「手を切るとどりだけ痛いかわかって、初めて次は切らないようにする。自分でちゃんと経験させろ」

 この教えが、その後の人生には非常に役に立った、と森山さんは振り返る。

森山さん: 「近頃の教育には、こういう、実践の精神が足りない。だから、他人の痛みもわからずに、平気でひとを傷つける人間が増えるんだ」

 古希にして元気な森山さんにとって、まだまだ「死」は遠い存在だ。

森山さん: 「先日も、異業者交流のパーティーで、ある実業家の方に会ったんですが、84歳だというのに、どう見ても60歳そこそこにしか見えない。しかも、その方がいうには、人間なんて所詮は半分は寝て暮らしてるんだから、84歳といったって、実質は42歳と一緒です、って笑ってるんだな。じゃ、その計算でいったら、ボクなんかまだ35歳か、と思うと、一気にまた気分が若返ってしまいましたよ」

   森山周一郎
(もりやま しゅういちろう)

 昭和9年愛知県生まれ。昭和28年、劇団東芸第一期研究生として入団。その後ナレーション、CM、司会、ラジオドラマ、テレビドラマ、映画など各方面でオールマイティーで活躍。特に低音で渋みのある声は『刑事コジャック』や宮崎駿監督のアニメ『紅の豚』の吹き替えなどで有名だ。


 「人の寿命は120歳」説を唱える森山さんにとって、人生はまだ半分をちょっと 過ぎたばかりだ。
(第4回 終わり)